真田十勇士は実在したのか?戦国のヒーロー戦隊ですよね!

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2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公”真田幸村”

史実に残る勲功(功績)の裏側には、「真田十勇士」の働きが大きかった!!

子供の頃は真田十勇士の存在を何の疑いもなく信じていました。

”戦国のヒーロー戦隊”

しかし、大人になるにつれ読んだ小説や見た情報から、

”どうもおかしい?”

読む本によって作者の主観が違うのは分かりますが、どうやら「真田十勇士」が実在しないのでは・・・。

絶対的な存在である”忍者・猿飛佐助”すら実在しなかった?

そんなの有り得ない!! くらいの衝撃を感じたのです。

「真田十勇士は実在したのか?」

いま一度、その真実を考えてみたいと思います。

 

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真田幸村と大阪冬の陣「真田丸」

 

真田家は、幸村の祖父”真田幸隆”が、信濃国小県郡の真田郷を領して真田庄の松尾城に居住して以後、真田姓を名乗ったと言われています。

その後は幸村の父・昌幸が上田城を居城として知略を駆使し、武田家、織田家、豊臣家、と柔軟に渡り歩くことによって領土の確保を続けていきました。

 

しかし、関ヶ原の戦いで、豊臣方に就くか?徳川方に就くか?を迫られた時、昌幸と幸村は恩のある豊臣方へ、長男の信幸(家康の養女と婚姻)は徳川方へ就くこととなります。

これは”家名の存続”を第一義と考えた「真田家」の宿命とも言えるでしょう。

 

関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方は、家康の手から秀頼を守る為に大阪城に籠城することを選びます。

大坂冬の陣(1614年)、大坂夏の陣(1615年)の始まりです。

集まった大名はごく僅かで、金で雇った多くの浪人たちが頼り。

豊臣恩顧の大名であっても多くは徳川方に寝返っていました。

そんな状況下、真田幸村は当然のように大阪城に入城。

そして大坂冬の陣では、敵を迎え撃つ平野口の城門の”外”に「真田丸」を築き徳川方を散々に打ち破ります。

 

真田幸村と十勇士の関係

 

真田十勇士とは、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村に仕えたとされる10人の家臣。

関ヶ原の戦いで豊臣方が敗戦した後、九度山(和歌山県)に配流された真田氏(幸隆・幸村)は密かに徳川家康の動向を探っていました。

その時から大阪冬の陣・夏の陣にかけて活躍したのが真田十勇士です。

 

様々な諜報活動を繰り返した十勇士の情報で、家康が間違いなく”豊臣家滅亡”を企んでいると幸村は確信しました。

父、昌幸はすでに亡くなっていましたが、大阪城に集まる大名、武士、浪人達の動向から自分も決意。

監視の目をくぐり抜け、最終決戦の場「大阪城」へと向かいます。

 

14年間もの間、九度山に幽閉された真田幸村。

その手となり足となり、そして大坂の陣では命を懸けて職務を全うするスペシャリスト達。

それが「真田十勇士」だったのです。

 

真田十勇士と呼ばれている10人とは?

 

「真田十勇士」とは真田幸村に仕える従順なスペシャリスト達10人の事。

【猿飛佐助(さるとび さすけ)】

真田幸村に仕える十勇士の中心人物で甲賀忍者。
大坂冬の陣、大坂夏の陣で活躍。

架空の存在とも言われ、秀吉の家臣・猿飛仁助の子孫で上月佐助がモデルとも言われています。

【霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)】

猿飛佐助と並ぶ忍術の持ち主。
伊賀流忍術の頭領である百地三太夫に師事した伊賀忍者。
大坂夏の陣では、家康の本陣に忍んで首を掻こうとするが失敗。

霧隠鹿右衛門をモデルにした架空の存在とも言われています。

【三好清海入道(みよし せいかいにゅうどう)】

三好氏出身の破戒僧。
怪力の持ち主で鉄棒を振り回す豪傑です。
大坂冬・夏の陣ではすでに80歳以上の年齢。

大阪の陣で討ち死にした三好清海がモデルと言われています。

【三好伊三入道(みよし いさにゅうどう)】

三好清海入道の弟で、兄にも劣らない怪力の持ち主。
大坂冬・夏の陣ではすでに80歳以上の年齢。

大阪の陣で討ち死にした三好清海の弟・政勝がモデルと言われています。

【穴山小介(あなやま こすけ)】

槍の名手。家康や諸国の動向を探り諜報活動で活躍。
武田家家臣・穴山信君の縁戚とも言われています。

幸村と同い年で容姿が似ていた為、幸村の影武者として戦い命を落としたとされます。

【由利鎌之介(ゆり かまのすけ)】

名前にもある通り、鎖鎌の扱いが得意。
江戸で槍の道場を開き、家康の動向を調べていました。
大坂冬・夏の陣でも活躍。

幸村の家臣に実在した同名の武将がいるので”実在”していたとも言われますが、架空の人物とも言われています。

【筧十蔵(かけい じゅうぞう)】

火縄銃(種子島銃)の名人。
由利鎌之助とともに諸国の情報収集に当たりました。
大坂夏の陣では鉄砲隊を率いて活躍。

【海野六郎(うんの ろくろう)】

真田家譜代の家臣・海野家の出身。
かく乱作戦を得意とし、最期大坂夏の陣で活躍。
根津甚八とともに奥州を拠点に情報収集。

海野六郎は存在するものの十勇士としては架空の人物とも言われます。

【根津甚八(ねづ じんぱち)】

海賊の首領であり、水軍の指揮を得意としていました。
大阪夏の陣では幸村の影武者となり討ち死。

根津甚八のモデルは幸村の家臣である根津小六であると言われ、架空の人物とも言われています。

【望月六郎(もちづき ろくろう)】

望月家は甲賀流の上忍五十三家の一つで、火薬や爆薬での破壊工作を得意としていました。
幸村の補佐役・影武者として活躍。

真田幸村の家臣に実在の人物が存在していて、その人物がモデルと言われています。

 

結果 真田十勇士は実在したのか?

 

真田十勇士の10人が実在したのかと言われれば「ノー」でしょう。

海野六郎・穴山小助・望月六郎は幸村の家臣であった可能性が高いですが、他の7人は十勇士どころか実在すら不明のようですね。

 

子供の頃、実在していた「真田十勇士」の10人が、ヒーロー戦隊もののように個別で活躍したり、みんなで集まって強い敵に立ち向かっていったり。

ドキドキ・ワクワクの戦国ロマンを感じていたんですよね~。
十勇士全員が実在していたとは言わなくても、猿飛佐助と霧隠才蔵は実在して欲しかった・・・。

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