スポーツ選手には、冷静さを失わずいつも通りのパフォーマンスが発揮できるように毎回決まって行う動作があります。
それは「ルーティン」と言われ、まわりの環境に左右されずに最高のパフォーマンスを発揮できるよう集中するためのもの。
一種の”験担ぎ(げんかつぎ)”とも言えますね。
それが狂うと上手くいかない不安をもってしまうからです。
そこから気づくのは、一般人である私達の日常。
どれほどの特殊な能力を持っているわけではないのですが、無意識(ある意味意識的)に毎日・毎回行っている動作が存在していたりします。
それはスポーツ選手が行うそれと同じ「ルーティン」
日常生活で行っている動作、私達の「ルーティン」をチェックしてみると、意識の有る無しに関わらずたくさん存在することにいまさらビックリ!
ルーティンとは?
ルーティンとは”型”のことです。
この時はこうするといった”型”
これが無くなってしまうと行動は毎回支離滅裂で、良かったことを維持できなくなり、悪かったことを反省して修正することもできなくなってしまうでしょう。
「決まった動作」「型にはまった一連の流れ」として、機械的で創造性が無いように思えますが、ルーティンの型が無ければ基準も無く、今より良くなるための基準すら分からなくなってしまうのです。
型を持つ人は強くなれます。
その型が仮に間違っていたとしても、そこから間違いを学ぶことができるからです。
自分のルーティン
さて、ここで自分のルーティンを思い起こしてみましょう。
意識的に行っていることもあると思いますが、無意識となっていることも多いと思います。
では、恥ずかしながら私のルーティンとは?
私のルーティン
まず、仕事に行くため毎朝かけている目覚ましは朝7時。
しかし1回ではすぐ起きず、スヌーズ機能があるので決まって4回目に起きています。
5分おきにベルが鳴るので時間は7時15分。
これは7時15分に起きればその後の行動から問題なく出勤ができるといった”経験”から起きるものです。
ここでのルーティン=型は、7時15分に起きるのに7時に目覚ましのベルを鳴らすこと。
二度寝、三度寝、四度寝をすることで、徐々に出勤への気力と準備を整えているのです!!
そしてその後シャワーを浴びてからタバコを吸う。
髪をセットしてからトイレに行く。
髭を剃ってスーツに着替える。
車で通勤しているので車で朝食(おにぎり)を食べながら運転し、駐車場に着くのは出社の約30分前。
スマホで調べ物をしながら仕事への精神統一。
私はこのルーティンを十数年崩していません。
この型を崩すとイヤ~な仕事がもっと嫌な始まりと感じてしまうからです。
どうでも良いことに対してルーティンは発動しません。
仕事であり、家事であり、子育てであり。
しなければならない義務や責任、必要性を感じるからこそルーティンといった型が必要となってくるのです。
もしルーティンを無くしてしまったら
ルーティンは毎回同じ決まったことを繰り返すつまらないものと感じるかも知れません。
しかしこのルーティンを無くしてしまったらどうなるのか?
大袈裟に言ったら世界から秩序は無くなってしまうでしょう。
「ルーティン」は守らなければならないことを守ると言ったこと。
個人で言えばその人のポリシーの問題で、個性がどうこうで済まされたりはします。
しかし、集団でも「ルーティン」はあると思います。
規則・規律における守るべき順序は広義における「ルーティン」
それを守らなければ大変なことになりますよね。
ルーティンの勝手な解釈。
個人に限らず集団、国、世界。
守るべき”型”を守らなければ成り立たなくなる重要なことであるのですッ!!
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